言及:ペルソナ5

ペルソナ5はとても面白いゲームだった。

アーケードと携帯機が中心になっていて、据え置きから離れがちだった自分のゲームライフを一気に据え置き寄りに戻してくれた作品でもある。

痛快世直し劇である極上のジュブナイルとして、そしてペルソナシリーズ最新作として、単純に完成度が高い。
ミステリ、サスペンスといった要素をふんだんに盛り込んだストーリーも素晴らしい。

けれど、このストーリーで気になったところに言及したい。

精神の改ざんって、殺人と同義ではないだろうか?
主人公であるジョーカー達はゲスでド外道な悪い大人達の精神に侵入し、
その心に影響を与える事で更生…悔い改めさせる。

いわば人格を変えてしまう洗脳に等しい。
ゲスで悪人、そういった部分もその人物を構成する一要素だ。
それを本人の合意無しに無理やり変えてしまうのを人格の破壊=実質的な殺人ではないと言い切れるだろうか?

もちろん悪人よりは善人が多い世の中がいい。
この世から悪徳が根ざす心の総量が減る事こそ、幸福な世界に近づく第一歩である事は間違い無い。

しかしそれは道徳規範にかざして善し悪しを決める事だ。
世の中にとって良かれ悪かれという事を論じる事と、
人の精神を不当に弄り別人に作り変えてしまう事は別々に論じられて然るべきだ。
同列に語ってしまうと、世のため人のためなら人を殺しても良いのかという観点の話になってしまう。

つまり。
私が気になったところとはジョーカー達のやっている事は業が深いという事。
人が人である理由が精神の在り方と定義するならば、人格や考え方を強制的に変える事は殺人行為と同義ではないか、という私見だ。

私はペルソナ5を多くのプレイヤーに理不尽な社会に反発する痛快世直し劇として楽しく消費して貰いたい。
私自身も金や権力を握る理不尽でどうしようもない性格の大人達を誰かがバッサリと成敗してくれたらな、と思ったりもする。

しかしそう思う事と、ジョーカー達のやっている事に疑問を抱く事は別の事だ。
何もペルソナ5のストーリーに問題があると言いたいわけではない。
ジョーカー達のやっている事に反論を唱えたいわけでもない。

ただ、彼らの世直しはある側面から捉えたらとても恐ろしい事ではないのか?
そんな風に思いを馳せたりする、というだけなのだ。


了。